Re: 決戦3登場の女武将の史実? ( No.1 ) |
- 日時: 2005/03/11 00:39
- 名前: 微々美々
- 続きです^^
お市 別名を市姫。小谷の方。お市御寮人。 織田信秀の娘で信長の妹にあたる。 一説に天文十六年(1547)生まれ。 妹ではなく姉・義妹・従妹であるという説もある。 お市が柴田勝家の許へ再嫁する決心をしたことについて、「お市さま自らの御料簡にて決められ候こと」と語っており、織田信忠や信包の意見ではなかったそうです。 お市の胸中には残された子女の将来と、織田政権を託す人物として年は親子ほど違う老将柴田勝家こそ最適の人物として選択したと考えられます。 亡主信長の追善供養を京の妙心寺で真っ先に行ったのも柴田勝家夫妻で喪主はお市その人であったといいます。 そして安土に菩提寺・総見院を建立している。先を越された秀吉は大徳寺で追善供養をし、ここに総見院を建て、三者三様の思惑を秘めて織田政権の後継者たらんとしたそうです。 お市御料人は女人ながら織田政権の担い手として自負していたものと思われます。 実は芯の強い女丈夫だったのではないでしょうか?
アマリア ゲーム中の人物なので割愛。 ペドロと因縁があるらしい(ひょっとして「カステラ」を横取りされたとか?) ネーデルランド(現在のオランダ)独立戦争の闘士とのこと とすると、エンディングのイスパニア国王はやはりフェリペ2世? ※ネーデルランド独立戦争は1568年なので、決戦3の時代背景と一致。
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Re: 決戦3登場の女武将の史実? ( No.2 ) |
- 日時: 2005/03/11 00:41
- 名前: 微々美々
- また続きです^^
稲姫 本名を小松姫(あるいは小松殿)は戦国後期の女性で、徳川四天王の一人である本多忠勝の長女として生まれました。幼名は稲姫、または於小美。 家康は小松姫を名将・真田昌幸親子の懐柔の為、長男の信之に嫁がせようと計画しましたが、稲姫は家康の使者の口上を聞くと「家格が違う」と一蹴したそうです。 この話を聞いた家康は小松姫を養女にしてから、信之に嫁がせたといいます。 小松姫が亡くなったのは元和6年(1620)のことです。その前から病気がちだった小松姫は草津に湯治に向かう途中の宿・鴻巣で亡くなりました。その時駆けつけた信之は、小松姫の死をひどく悲しみ、「我が家の灯火が消え失せたり」と嘆いたと伝えられています。この時、小松姫は信之に「そろそろ京の人を迎えてはどうですか?」と言った、という話も残っています。(浅井長政同様、信之も稲姫存命中は側室は持たなかったそうです) 稲姫の肖像画を見たことがありますが、葵のご紋と六文銭の両方を身につけてるところが小松姫の位置関係をうかがわせます。 さらに笑えるエピソードを^^ 関ヶ原の戦いの後、今まで真田昌幸の領地であった上田はそのまま信之に譲られることになりました。この時小松姫は、前田家から将軍家に送られる献上品を横取りした、という話があるそうです。 「将軍へあげるものなら家康の養女である自分にももらう権利がある」と言ったといわれています。 当然反対されましたが、その時小松姫は手に墨を塗り、懐紙に手形を押して「将軍家への献上品、たしかにこの手が頂きました」といってその手形を将軍・秀忠のもとへ届させたと言います。
お雪 富田信高夫人 史実が少なく、知っているのはこれだけです^^ 西軍は日本三港の一つとされる安濃津(現在の三重県津市)の城主・富田信高を攻めた。近隣の分部光嘉・古田重勝も救援に入ったが、兵力の差は圧倒的で、城には火が回り、城主・富田信高は討ち死にを覚悟して討って出た。このとき、城内より美しき若武者が行動を共にしたが、この若武者こそが常山記談に「容貌美しき武者、槍を提げてきたり」と書かれている信高の妻であったそうです。
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Re: 決戦3登場の女武将の史実? ( No.3 ) |
- 日時: 2005/03/11 00:44
- 名前: 微々美々
- おつね
別名を安といいます 前田家家老奥村永福の正室。 有名なエピソードは末森城攻防戦でしょうか。 この時 奥村永福「もはやこれまでか。城に火を放ち、潔く自害いたさん」 永福の妻「何をおっしゃいます、なさけない。古の楠正成は全国の兵を相手に籠城したとか聞き及んでおります。おまえさまは、たかだか佐々一手の勢に囲まれただけのこと。何を気弱なことを申されまするのか」 と叱りつけたといいます。 奥村永福の妻(「太閤記」によると名前はつね)は病床に臥していたが、攻城戦が始まると、寝てはいられぬ、と自ら薙刀を掻い込んで、城中を警護し、時には兵士に粥を振る舞ったり、酒をあたためて馳走したりしたといいます。
お勝 別名をお梶の方と 家康最愛の側室でもありました。 お梶は慶長五年(1600)の関ケ原の戦いにお供をして勝利を収めましたので、 徳川家康から「梶を勝と改めよ」といわれ、以後お勝の方(局)と呼ばれ、家康との間に生まれた市姫が4才で亡くなると、「水戸徳川家」の祖となった徳川頼房の養母となりました。 家康が晩年を過ごした駿府城では、質素倹約につとめて家康の信頼も厚く、家康から「男なら大名にも取り立てられるものを」と言われたほどの人だったと言います。家光が三代将軍になれたのも、お勝の方が春日局を家康に会わせたからだと言われているそうです。 ゲーム中の姿はどう見ても「水戸黄門」の「お銀(ぎん?)」なのですが・・・^^
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Re: 決戦3登場の女武将の史実? ( No.4 ) |
- 日時: 2005/03/11 00:47
- 名前: 微々美々
- おまつ(前編)
別名を前田利家夫人・お松 彼女は子沢山でしたので、子どもに恵まれなかった秀吉、ねね夫婦の養女になった娘がいました。四女のお豪です。お豪は宇喜田秀家の妻になりました。長女の幸は守山城主前田対馬の妻に、次女の蕭(しょう)は中川光重の妻、三女の麻阿は秀吉の側室、(後に万里小路充房の妻)、五女の千世は細川忠輿とガラシアの息子細川忠隆の妻になりました。 彼女の有名なエピソードはやはりこれでしょう。
末森城は十倍の敵に囲まれることになった。利家は家臣の慎重論を退けてすぐに救援を送ったが、このときまつが、自重を促す秀吉の命に逆らうべきか迷っていた利家を「大切な家臣を見殺しにするのか」と叱咤したという。
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Re: 決戦3登場の女武将の史実? ( No.5 ) |
- 日時: 2005/03/11 00:48
- 名前: 微々美々
- おまつ(後編)
もう1つは・・・ 秀吉からは「金沢城の守りを固めよ」と指示されていたが、利家は出陣の覚悟を決める。そこへ、まつが蔵から金、銀を入れた皮袋を持ち出して姿を現し、「又左衛門殿、よくお聞きあれ」と口を開く。日ごろ、敵の攻撃に備えるために兵を養うように言ってきたのに、あなたは蓄財ばかりを心掛けてきた、と意見をする。いま、大事ないくさの時です。それなら「兵の代わりに、あなたが日ごろ大事にしてきたこの金銀を召し連れ、槍(やり)を突かせてはいかがでしょう」。そう皮肉の言葉をはいて、金の皮袋を夫に突き付けた。 「川角(かわすみ)太閤記」という書物に記された有名なエピソードです。利家は怒って刀を抜こうとしたが、周囲のとりなしで事なきを得たという。どこまでが本当の話かは分かりませんが、まつの「金銀に槍を突かせたらいかがか」という強烈な皮肉の言葉は、後世の作り話と片付けてしまえない真実味があふれているように思われます。 いっとき利家は怒ったというが、10歳年下の妻の言葉は、秀吉の命に背いて出陣するという心苦しさを吹き飛ばす効果があったのでしょう。妻だからこそ言えた士気を鼓舞する皮肉です。出陣前の夫婦げんかの真偽はともかく、こんな逸話が生まれるほど、まつは自分に正直な人だったと思われます。 もう1つは出陣する夫と重臣らに向かい、妻は勇ましい演説をしたという。「不幸にして末森の城が陥落したならば、生きて帰らないでほしい。私も皆さまの家族とともに城に火を放って自害します」と残したといいます。 死を口にしたまつの姿に重臣らは感じ入り、利家もかぶとの緒を短く切って決死の覚悟を示し、全軍の士気を高めた。さらに、夫らの出陣を見送った後、まつは重臣の妻を城に集め、重ねて敗戦の時の自害の覚悟を迫ったという。 戦国時代、ひもの長さが覚悟の表れでした。帯やわらじを固定するひも、兜の緒などは、結んだ後に端をぎりぎりの長さまで切り捨てると、二度とひもや緒は使えなくなる。端を短く切り捨てることは、そのとき身に着けた品を二度と使わないという決意を示します。兜の緒であれば、兜を脱ぐときは死ぬときであるとして、文字通り決死の覚悟を示したそうです。
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Re: 決戦3登場の女武将の史実? ( No.6 ) |
- 日時: 2005/03/11 00:51
- 名前: 微々美々
- ぎん千代
父・道雪は名前を決めるにあたり、肥前国・加瀬の僧・増吟に頼み、「ァ千代姫」と名付ける事にしたと言います。読みは「ァ千代=ぎんちよ」で、「ァ」とは「和らぎ慎む」という意味である。父は「女性らしく育つように」と願をかけていたハズが、姫は父に似て気性が激しく育ち、「西国一の女丈夫」と謳われる程の男勝りに成長してしまう。また、若干7歳にして女城主となった人でもあります。 後に姫は柳河城郊外の宮永村に作った館に移り住み、「宮永様」と呼ばれるようになりました。 女丈夫のエピソードとしては・・・ 肥前名護屋城に呼ばれたとき、ァ千代姫は、好色の噂がある秀吉を用心して、たすき鉢巻き姿に大薙刀を小脇に抱え、仕える老女・侍女に数人にも同じ姿をさせて、秀吉の御前に颯爽と参上しました。流石に秀吉も仰天したらしく、 「流石は立花の妻女である。武家の妻とあれば、平時において、かくも立派心がけである。」と云って大いに褒め称えたという。 ァ千代姫は、肥前勢が攻めて来た時に宮永館を守る為に、「さては肥前勢が間もなく攻め寄るであろう。我は仮令女(?)の身ではあるが、道雪の女である。一死を以って国に殉じ、先考の名を汚すまい」と云って、紫威の鎧で身を固め、大薙刀を小脇に抱えて臨戦体制をしいた。家中の女房衆や侍女達も、一様に唐紅の装束に甲冑をつけ駆けつけてきた為、彼女らに的確な指示をあたえていたそうです。
長文で失礼いたしました。
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Re: 決戦3登場の女武将の史実? ( No.7 ) |
- 日時: 2005/03/11 03:59
- 名前: 微々美々
- お雪の史実が足りないので・・・
あれから、自分の資料をひっくり返して見ました(苦笑)
なんと・・・ありました^^;
常山記談に「容貌美しき武者、槍を提げてきたり」 と述べられているお雪ですが、彼女は、緋威(ひおどし)の具足に中二段黒革威に半月を打った兜の緒を締め、片鎌の手槍を引っ提げていました。信高は分部光嘉の家来かと思い右馬助に尋ねるが、彼も知らないと言います。そこで右馬助がその人物の兜の内側を覗いたところ、年の頃は二十四、五歳と見え、化粧をしてお歯黒をつけている。彼は驚いて信高のもとへ行き、「あの若武者は眉を描き歯黒をつけ、爪紅をさしています。女に違いありません」と告げた。信高は攻め寄せる敵をあしらいつつその若武者に近寄ったところ、若武者の方から彼に近寄ってきてこう言いました。 「嬉しゅうございます。お討死と聞き、枕をともにしたくてここまで出てまいりました。生きてお目にかかれ、嬉しくて何も申せません」 信高は若武者の顔を見て仰天した。この若武者は彼の妻だったのです。この日の彼女の振る舞いとめざましい働きは、見る者聞く者を驚かせました。これは『武功雑記』にある話ですが、逸話とは言え彼の妻が参戦して奮闘したことは事実です。
妻の活躍にも助けられ(?)、信高もなんとか本丸に戻った。『武将感状記』によると、この時彼女は毛利秀元の家臣で大剛の士として知られる中川清左衛門を討ち取ったといいます。
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Re: 決戦3登場の女武将の史実? ( No.8 ) |
- 日時: 2005/03/12 07:37
- 名前: カンガエール
- ┏━━┓ ┏━━┓
┃掠疾┃ ┃掠疾┃ ┃如如┃ ┃如如┃ 「主、いずれか有道なる?」 ┃火風┃ ┃火風┃ 「武田!」 ┃不徐┃ ┃不徐┃ 「将士、いずれか有能なる?」 ┃動如┃ ┃動如┃ 「武田!」 ┃如林┃ ミ《,M,,》シ ┃如林┃ 「理法、いずれか得たる?」 ┃山侵┃ <ゝ(`∞´)ノ> ┃山侵┃ 「武田じゃ!」 ┣━━┛ 彡ミ・д・ミ ミ ┣━━┛ 「軍令、いずれか行わる?」 ┃ ∧_.ヘ /~( ソ )~ヽ ヘ_∧ ┃ 「武田と織田互角と見る!」 ┃ / \※>∩ ./ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ ∩<※ /ヽ ┃ 「兵衆、いずれか強き?」 ∧_.ヘ ・д・ミ / \ ミ・д・| ヘ_∧ 「圧倒的に武田だな」 / \※>∩ ./ \ ∩<※ /ヽ 「士卒、いずれかならいたる?」 ∧_.ヘ ・д・ミ/ \ミ・д・| ヘ_∧ 「武田じゃ!」 / \※>∩/ \ ∩<※ /ヽ 「賞罰、いずれか明らかなる?」 //≡/ ・д・ミ \ミ・д・|≡ヽ 「互角かのう」 i^i( ⊃ / \⊂ )i^i | | ( ⌒| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| )| | | | ̄(__| | _)
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Re: 決戦3登場の女武将の史実? ( No.9 ) |
- 日時: 2005/03/12 13:40
- 名前: 微々美々
- イラストは有難いのですが・・・正直「???」なところです。
もしかして・・・ ”信玄公に関わる女性陣の史実のリクエスト”なのでしょうか・・・。(違うとは思いますが^^)
知っているもので宜しければ載せた方が良いのでしょうか?
※「史実」スレはあった方が良い、というのが自分の考えです。「攻略」だけでなく、時代背景も併せて知ることが出来たら楽しいと思いますので・・・
このあたりは、皆様からのご意見もお伺いしたいところですが・・・ (御迷惑だとしたら、大変申し訳ないのですが)
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Re: 決戦3登場の女武将の史実? ( No.10 ) |
- 日時: 2005/03/13 11:19
- 名前: お江代
- さすが微々美々さん!
私も8人の女性軍団を育てていますが、歴史背景を全然知らなかったので、ああこういう人だったんだぁ〜と勉強させられました。 知るとちょっと見る目が変わりますね。。 とても嬉しいです。ありがとうございます♪
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Re: 決戦3登場の女武将の史実? ( No.11 ) |
- 日時: 2005/03/13 19:52
- 名前: 微々美々
- >お江代さんへ
こちらこそ有難うございます^^ 載せた甲斐がありました。
また、このスレを見て頂いている、他の方にも、管理人様にも感謝いたします。歴戦の武将の陰に「女性陣の活躍アリ」ということで、決戦3を遊ぶ時の楽しみの1つになれば幸いです。
それと・・・ >※「史実」スレはあった方が良い、というのが自分の考えです。「攻略」だけでなく、時代背景も併せて知ることが出来たら楽しいと思いますので・・・
史実スレについては、他の皆様はどうお考えでしょうか? 今回立てたスレはあくまで「決戦3に登場した女性武将」に絞った史実でまとめたのですが・・・。
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